磁器の歴史
磁器が発明されたのは11世紀の北宋と言われ、景徳鎮が産地として特に有名である。また俗説では、早くから高麗に焼成技術が伝わり、青磁が作られ、その技法が日本にもたらされたかのようにいわれている。しかし、これには誤解がある。中国語で言うところの「磁(器)」とは磁州で発見された白い土を用いたものの総称で「青磁」「白磁」を含んでいるが、これは紀元前後から発展してきたまったく別の系統に属しており、中世景徳鎮などで主に染付けのためにつくられた完全な磁器とは違い、上掛けした白土と灰釉、つまり釉薬によるものである。朝鮮に伝わったものは越州龍泉窯などでつくられた前者であって、日本で言うところの焼成磁器については景徳鎮に学んだとみるのが正しいようである。
韓国では豊臣秀吉の唐入りによって、朝鮮半島から連れてこられた陶工、李参平(金ヶ江三兵衛)が肥前で焼いたことから製作が始まったと言われている。 可塑性と磁器化する能力を持つ陶石の粉末を原料とすることに特徴がある。彼らは機密保持のため束縛をうけたが、またそれと共に士分を与えられ厚遇された (現地では儒教的社会観から商工業者の身分は低かった)ので、家族や縁者も呼び寄せ、以後日本の磁器生産が盛んになったという。ただし、朝鮮半島の陶質青磁などに最も近いとされる古唐津は、古窯の調査から16世紀前半にさかのぼり、李がつくったといわれる初期伊万里(古伊万里の前段階)は、まだ李朝白磁の上手物の域を脱していない。なお、有田では李参平らによって当初は染付磁器が作製されていたが、17世紀後半には景徳鎮の影響を受けた金襴手などの色絵磁器が主流となっていった。
景徳鎮はなぜ磁器になったのだろうか。もともと景徳鎮でも青磁を作っていたが、もちいていた近傍の高嶺(カオリン)という山の白土は、超高温で焼かなければ固まらない難物だった。そこで出来た青白磁はすでに磁質(ガラス)化していたが、「影青(インチン)」といって青みがうすく、氷のような硬く冷たい色をしていた。明のひとびとは、これは地の白土がガラスのように透き通るので純白にならないためだと考え、ほかの陶石をまぜるなどして改良したらしい。こうしてできた白地が圧倒的に美しかったためにいつしか唯一無二の絵付けの生地として中国を席巻していった。西洋の磁器も、はじめはこの景徳鎮や有田焼を粉砕・溶解するなど長年にわたる詳細な科学調査を繰り返してようやく確立された。
積み出し港の名から伊万里焼と呼ばれた肥前磁器は、江戸時代後期まで隆盛を極め、また中国風の赤絵などのデザインだけでなく、日本独自の酒井田柿右衛門による濁手、金襴手などが生まれ、明末清初の混乱で磁器生産が滞った中国に代わってヨーロッパにも輸出され、高い評価を得た。また鍋島藩では藩窯として生産を行ない、美しく緻密な作品が作られた。江戸時代後半には磁器焼成は九谷、砥部など各地に広まり、明治頃には瀬戸で大量に生産されるようになり、庶民にも磁器は広まっていった。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
11世紀の中国の王朝北宋から発明されたようです。
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